ブログ
どうして教員にならなかったのか
『心の教養を教える講師になったわけ』
どうして、教員にならなかったの?
と時折問われます。
教育の現場も、お仕事も大好きです
聖職とすら思えるほどです
だけど
教育の現場を実体験して
一番思ったのが
教育の世界は
教室が一つの国になり
先生はその国の王様のよう
学校の中は世間と隔絶された空間のように思えて
ふと、覚えた危機感
社会経験のないものが
はたして、ここの王様になって
子供たちに悪影響はないのだろうか?
知らないことが多すぎる
自分自身がなにを知っているというのか
非常識も常識だとまかり通ってしまう
(あくまで私自身の感じたことです)
もっと世間一般の常識をつけなければ!
と、あえて違う職種に飛び込んだ
という経緯があります。
異業種を飛び回っていたのも、そこに起因していますね。
私の場合は、よかったんだと思います
様々な経験を通して
結局は、外からフォローできる教育に携われているのですから
そして経験を活かして
どんな職種の方にも対応していけるから
そしてまた、不思議なもので
PTAとして長年学校に関わるということも
起こっていて なにせかれこれ20年弱
懇談は、子供のことよりも教育の話だったり…
今は、教育の仕方自体も変化しているので
より柔軟な対応が必要になっていますね
心を柔らかくすると頭も柔らかくなる
心の教育=心教養学は、それぞれの個性をそのままに
その人、一人一人がもつ魅力や才能を引き出していけるから
みな違った花を咲かせていく
そして、経験を活かす
自分を活かしていけるようになる
天職!だと感じている今の私がいるわけです